『魏志』倭人伝の記述から、大人という支配階層のなかにも身分の格差があり、最高身分として最高権威者と最高権力者(女王・王)がいて、その下にはクニを支配するための行政組織があり、それを統括するような「官」「副官」などの地位を持つ人々があり、特に力のある人々が「一大率」「大倭」となったことが想像できます。こうした「官」や「副官」などの地位に就く人々は、やはり大人の中でも身分が高い人々であったことでしょう。
こうした身分はどのように決められたのでしょうか。その手がかりとなるのが、先述した弥生時代の王墓です。吉野ヶ里遺跡の北墳丘墓をはじめ、豪華な副葬品や施設を備えた墓に埋葬されているのは成人で、子供が厚く葬られることはありません。このことは、こうした特別の墓に葬られるような身分・地位にある人々がその能力を認められる「大人(たいじん)」であることを必要としていたことを表しています。このことから、弥生時代の首長や王などの身分はそのクニの成員によって、相応しいと思われる人物が立てられるものであり、特定の血筋の家族が代々その地位を踏襲するものではなかったと考えられます。ただし、高い身分・地位につく人々は支配者層である大人層であり、そのなかでもその土地を開拓した一族の子孫など格の高い人々であったことが想像できます。