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第5章 弥生時代の社会

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3.家族制度

弥生時代の家族制度については、まだ確かなことは分っていません。弥生時代の後期の近畿地方では、同じ文様・製作手法の土器が広範囲に分布しています。民俗学の事例では世界的に土器の作り手は女性であることから、弥生土器も女性が作ったと考えられています。このことから、同じような土器が広く分布する背景に女性の移動、すなわち嫁入りが推定できるという説もあります。弥生時代の住まいである竪穴住居は基本的に構造や規模が同時期・同地域のものはほぼ同一です。これは各竪穴住居にそれぞれ類似した家族構成の人々が住んでいたことを反映していると思われます。それほど大規模なものではないことから、大家族が一つの家に居住する形態ではなかったと想像できます。
魏志倭人伝は倭人の家族形態について、「父母と兄弟は寝るところを別にする」と伝えています。これには様々な解釈がありますが、「父母」と成人している兄弟(息子)は別々に住んでいるという解釈が最も一般的です。
また「身分の高い人は4~5人、一般身分の人でも2~3人の妻を持つものがいる」と書かれており、一夫多妻制であったと考えられます。一方、『万葉集』など日本の古代文献の記述から、古代日本の婚姻は夫婦別居の妻問婚であったとする説が優勢です。ただ「ツマ」は本来、一対の男女の片方を指す言葉であり、万葉集には少数ながら女性の通い婚も書かれています。また『古事記』のスサノオノ尊と櫛稲田姫の結婚の記述に見られるように、結婚して新たに家を建てることもあったようです。
これらのことから、一つの仮説として次のような家族形態を想定することが可能です。
・両親と成人した息子が同居することはなく、未婚の娘と成人前の息子が同居している。
・妻問婚が行なわれていた可能性はあるが、女性が生涯、生まれた家に住むことはなく、妻問いを一定期間経た後に、夫または妻の家のどちらかに移る。この時、独立して新たな家を建てた可能性が高い。
・第2の妻、第3の妻はそれぞれ別に家を持ち、成人前の子供たちと暮らす。そこに夫が通ってくる形態であった。
・成人した男性は生家を出て、妻問いの時期を経て独立し家を持つまでの間、生家以外の場所で暮らしていた可能性が高い。このことから、結婚前の成人した男性が暮らす若者宿のような施設があったことも想像できる。

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