農業の他に狩猟や漁、ドングリなど堅果類の採集なども行われていたことが、出土遺物から明らになっています。
また、石斧をつくる福岡県福岡市今山遺跡や石庖丁をつくる飯塚市立岩遺跡のような「ものづくり」に従事する集落も現れたことがわかっています。瀬戸内海の沿岸部では塩を作った製塩遺跡が分布しており、塩づくりをおこなった集落があったことが確認されています。
魏志倭人伝は対馬国には良田がないため、人々は海産物を食べて自活し、船にのり南や北と交易して暮らしていると伝えています。これらのことから、海に近い集落では漁業に従事しながら、塩づくりや船を操り交易を行なう人々がいたと考えられます。