弥生時代前期初めの福岡県板付遺跡の水田跡は、田の水位を調整するための井堰を備えていました。井堰は水位の高い低湿地の水を排水し、稲の生産に適した水位とするためのものだったと考えられています。これは、弥生時代のはじめ頃の水田稲作農耕が湿地に種籾を播くような原始的なものではなく、既にかなり高度な段階に達していた可能性を示しています。
水田には地下水位が高い湿地につくる湿田と、水位が低い乾いた土地につくる乾田があります。乾田は用水路により水を引いてこなければ作ることができませんが、田に水を入れる時期と、水を落とす時期を繰り返すことにより、土の栄養分が高くなり湿田に比べ生産力が高いことが知られています。こうした用水路と排水路を備えた乾田も、弥生時代中期には出現しました。後期には苗を苗代で育てて水田に植える田植えも開始されたと推定されています。