当時の食事イメージ
魏志倭人伝には倭人の食生活について「倭の地は暖かく、冬も夏も生野菜を食べる」「飲食には高坏を用い、手づかみで食べる」「人々は生来酒が好きである」と書かれています。
各地の遺跡から出土する食料関連の遺物などから、明らかになった弥生時代の食生活を見てみましょう。
弥生時代には稲の栽培が本格的にはじまり、米をはじめとする穀物を主要な食料の一つとする食生活もまた開始されたことが推測されます。各地の遺跡から出土する炭化穀物などにより、弥生時代には米の他に、小麦、アワ、ヒエ、小豆などの雑穀が栽培されていたことが明らになっています。
こうした主食はどのように調理されたのでしょうか。弥生時代に煮炊きに使われた甕形土器に残る炭化物などの状態から、穀物は水を加え炊いていたと考えられます。倭人伝には手づかみで食べるとありますが、鳥取県の青谷上寺地遺跡からは木製のスプーンが数多く出土しており、おそらくスプーンを使って食事をしていたと推定できます。これらのことから、弥生時代には主として米や雑穀を炊いて雑炊のようにして食べていたと想像できます。
また、炊くとは別に蒸す調理法もあったことも推定できます。日常は米と雑穀を混ぜた雑炊を食べ、祭りなどハレの日には蒸した米を高坏にもって食べたことが想像できます。縄文時代の主食であった団栗などの堅果類も各地の遺跡から出土しています。縄文以来の伝統食である団栗ダンゴなども依然、食べられていたことが窺えます。