弥生時代の租税については魏志倭人伝に「租賦を収む、邸閣あり」という記述があり、弥生時代に既に租税があったことが記述されています。
しかし、その具体的な内容についてはほとんどわかっていません。租賦の「租」は穀物などを収めること、「賦」は労働力の提供と考えられています。魏志倭人伝の記述を解釈すれば、穀物の献納と労働力の提供からなる租税の形態が弥生時代後期末に存在したことになります。
「租」はその起源を「初穂献納儀礼」と結びつけて考える説が古代史の研究者により古くから唱えられています。初穂献納はその年に収穫した稲の初穂を神・祖 霊に捧げる農耕儀礼です。殷・周時代の古代中国でも、租税は神を祀るための祭祀料として徴収されたという指摘もあります。
吉野ヶ里遺跡に祖霊を祀ったと考えられる北墳丘墓があり、その近くにクニの倉と見られる倉庫群と市があったことから想像すれば、弥生時代の租税は祖霊を祀る祭祀と深く結びついていたと考えられ、ムラムラからクニの祖霊に初穂を捧げる儀礼の一環であったと考えられます。