弥生時代中期の中頃~後半になると交易はますます拡大する様相を見せるようになります。
紀元前 108 年に中国の前漢王朝が朝鮮半島に出先機関である楽浪郡を置きます。このことに関連するのか、それまで朝鮮半島製が主だった北部九州地方の墳墓の副葬品にこの頃より中国大陸製の鏡や武器などの青銅器が見られるようになります。また、奄美大島や沖縄の珊瑚礁に生息するゴホウラやイモガイという大型の巻貝を加工した貝殻製の腕輪や、新潟県糸魚川産のヒスイなども北部九州地方や近畿地方など西日本の遺跡で発見されています。これらはほとんどが墓の副葬品や特定身分の人々の装飾品であり、威信材の交易がますます盛んになったことが窺えます。鉄器の使用も本格化し、前期には木材を加工する工具として使われていた鉄器が農具としても使われるようになり、需要の高まりに応じて朝鮮半島からの素材の輸入も増加していったことが推定できます。弥生時代中期から後期にかけてこのように広域にわたる交易のルートとネットワークが整備されていったと推定できます。
魏志倭人伝にみられるように、後期末には中国大陸の魏と邪馬台国が直接の政治的な交渉を持つようになります。その背景には、弥生時代を通じて蓄積された交易を通じての交流があったと考えられます。