弥生時代の始まりを表す要素が水田稲作農業の開始と金属器の登場なら、弥生時代の終わりを表す要素は、巨大な墳丘を持つ王の墓です。
巨大な墳丘を持つ王の墓(奈良県箸墓古墳)
弥生時代の後期後半になると、中国地方、北陸地方、四国地方、東海地方など日本列島各地で大型の墳丘墓が現れます。 墳丘墓は吉野ヶ里遺跡で既に中期前半に築造されていますが、その後徐々に各地で築造されるようになります。 これは、日本列島各地で地域を統括する首長が台頭してきた表れと見ることができます。 弥生時代後期末頃には、近畿地方や東海地方、中国地方や北陸地方の土器が日本各地で出土し、広範な交流が行われたことを窺わせます。 1~3世紀(弥生時代の後半)には、中国の歴史書に記述されているように、邪馬台国など日本列島内の主要な勢力が中国と独自のルートで交流を始めていました。 こうした一連の動きは、列島内の各地に首長を中心とする地域的なまとまりが現れ、クニやクニの連合を形成していったことを示していると考えられます。 しかし、弥生時代末期の段階ではまだ地方色を備えたものでした。次の段階になると、多くの地域で環壕を持った集落が一挙に消滅するようになります。 この後、奈良盆地南部に巨大な前方後円墳が出現し、さらに列島各地に前方後円墳が築造されるようになります。