弥生ミュージアム

ホーム 弥生ミュージアムについて お問合せ サイトマップ

第一章 弥生時代の年代

ホーム > トピックス > 邪馬台国 > 所在地を廻る論争は「近畿説」と「九州説」が有力

邪馬台国

所在地を廻る論争は「近畿説」と「九州説」が有力

吉野ヶ里遺跡は魏志倭人伝に記述されている「邪馬台国」の姿をはじめて具体的に示す遺跡として大きな注目を集めました。多くの古代史ファンの心を捉えて離さない邪馬台国、その所在地を廻って様々な説が提出されていますが、「近畿説」と「九州説」が最も有力とされています。「近畿説」は近畿地方に邪馬台国が存在したとする説で、初期の前方後円墳が多く集まる奈良県奈良盆地を有力候補地としています。九州説は九州地方に邪馬台国があったとする説で、中国大陸製の青銅器を数多く副葬する王墓や、吉野ヶ里遺跡のような大規模な環壕集落が出土する福岡県、佐賀県を中心とした北部九州地方を有力候補地としています。

写真:福岡県志賀島出土の金印

福岡県志賀島出土の金印

Copyright  YOSHINOGARI HISTORICAL PARK All right reserved.