今からおよそ6,000年前の縄文時代前期、地球規模の気候温暖化により氷河がとけ、海水面が10m 近く上昇し、海岸線が陸地の奥深く入り込んでいました。縄文時代中期後半以降、気候が寒冷化し海岸線が徐々に後退し始めます。
海岸線の後退に伴って陸地化した場所には沖積平野が形成され、また海が取り残されたところは、干潟や湖となっていきました。縄文時代の終わり頃から弥生時代の初め頃にかけて、こうした海退(海岸線の後退)はさらに進んだと考えられています。
海退によって出現した湿地や沖積平野は初期の水田稲作にとって絶好の耕地となりました。集落も台地上から平野部に進出するようになります。 稲作の開始と進展に伴い、大規模な森林伐採が行われるようになります。稲作を行うために必要な農具、水田を作るために必要な矢板など木材の需要が飛躍的に高まります。北部九州地方で木を伐採するために必要な福岡県今山産の太型蛤刃石斧が広い地域に普及するようになったのも、こうした状況の表れでしょう。森林伐採は、西日本の平野部で集落が急激に増加する弥生時代中期以降、さらに進んでいったと考えられます。
しかし、そうした伐採が山林の荒廃を引き起こし、自然環境を決定的破壊していった痕跡は見られません。弥生時代は縄文時代以来の自然環境の変化によって形成された沖積平野に水田を作って耕し、その近辺の低い台地上に集落を営み、背後の丘陵から山にかけての森林から生活のために必要なだけの木材や資材を得るという、長く日本に根付いた土地利用の原型が生まれた時代だと言えます。