弥生ミュージアム

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第一章 弥生時代の年代

ホーム > 第2章 弥生時代の集落と墓 > 3.弥生時代の墓の変遷

3.弥生時代の墓の変遷

弥生時代前期初頭から前期前半

集落とともに墳墓も弥生時代の社会を反映する施設です。弥生時代前期初頭から前半の墓は、土壙墓(木棺墓)が主体です。北部九州地方や西北九州地方ではこれに支石墓、甕棺墓など独自の地方的特色を備えた墓が加わります。いずれも集落に近接した場所に、小さな群れをなして営まれることが多いのが特徴です。これは、弥生時代全体を通して、最も基本的な墳墓のあり方です。

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特定墳墓の出現

弥生時代前期末から中期になると、北部九州地方で銅剣・銅矛・銅戈などの青銅器を特定の墳墓群に集中して副葬するようになります。中・後期には福岡県三雲遺跡、須玖岡本遺跡などのように青銅器を大量に副葬した墓や、銅剣やガラス玉を副葬する甕棺墓を埋納した吉野ヶ里遺跡の墳丘墓のような墓が出現してきます。

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墳墓とその祭祀空間

こうした他とは隔絶した特別な墳墓とともに注目されるのが、墳墓に対する祭祀のあり方とその「空間」です。
弥生時代前期末の福岡県吉武高木遺跡では、青銅器を副葬する甕棺墓が集中する墳墓群に近接して大型の祭祀用と見られる建物跡が発見されています。後期も佐賀県柚比本村遺跡でもこうした「墓」と建物跡の関係を認めることができます。吉野ヶ里遺跡では、首長墓と考えられる北墳丘墓を中心に、立柱や墓道、祭祀土器を大量に廃棄した土壙などの祭祀的空間が広がり、後期後半には北墳丘墓と密接に関係する北内郭が成立します。

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祖霊祭祀

これらは中期前半の北墳丘墓の築造以来、徐々に整備されたものと考えられ、その背景に祖霊祭祀の出現を見ることができます。祖霊祭祀については「弥生時代の精神生活」で詳しく述べますが、首長墓に対する祖霊祭祀とこれに伴う各種の儀礼が、弥生時代の政治的社会の形成に大きな役割を果たしたと考えられます。
北部九州地方以外では、広く祖霊祭祀の空間が捉えられる明確な例はありませんが、各地で墳丘墓、周溝墓、台状墓、四隅突出墓など、他とは異なる特別な墓が出現しており、首長など特定身分の墳墓を祖霊祭祀の儀礼的行為として造営する傾向が存在したことが窺えます。

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