甕棺墓列
甕棺墓列~一般の人々の墓地~
甕棺[かめかん]とは北部九州に特有の棺のことです。大型の素焼きの土器に亡くなった人の手足を折り曲げて入れ、土の中に埋める埋葬方法で、弥生時代中頃のおよそ200年の間、盛んに使われていたようです。吉野ヶ里では丘のいろいろな場所にまとまって埋葬されており、想定では15,000基を超える数が埋められていると考えられます。中でも、墳丘墓の北側には、真ん中に道(お参りするための道であるとも、左右に埋められている人々の身分の違いを表すための区別の線とも考えられている)が設けられていて、その両側に全部で2,000基を超す甕棺が長さ600mにわたって整然と並べられています。亡くなった人に対する当時の人々の想いを偲ぶことができます。
葬られた人々
甕棺に葬られた人々の中には頭部がないもの、肩や腕に刀傷(かたなきず)を受けた跡があるもの、腹部に10本もの矢を打ち込まれているものなど、当時の社会の様子を知る手がかりとなるものが見つかっています。一般的には戦争の犠牲者と言われていますが、例えば10本の矢を打ち込まれた人は腹部に集中しており、激しく動き回る状況の中でこれほど正確に集中して打ち込むことは不可能だと思われること、打ち込まれた10本の鏃(やじり)が様々な材質や技法で作られたものであることなどから、戦争の犠牲者とは思えないと言う考え方もあります。当時は王もリーダー層も一般の人々も皆甕棺に葬られていると考えられますが、甕棺の大きさや副葬品、葬られている場所などに違いがあったり、朱が塗られているものもあり、こうした違いが身分の差を表していると考えられています。
甕棺の種類
甕棺には大きく2つの種類があります。同じ形のものを上下に組み合わせた「合わせ口甕棺」と大きくて平らな石などを蓋の代りに使った「単棺(たんかん)」です。使われ方の違いなどについてはよく分かっていませんが、もしかしたら身分の差が関係あるのかもしれません。
人骨からわかること
人の骨を調べてみると、男女の違いや年令、身長、さらには体つきや顔つき、栄養状態までわかるものもあります。吉野ヶ里のお墓から見つかっている人骨はおよそ300体ありますが、その特徴を調べてみると、身長が高く、顔は面長で鼻が低いなど中国大陸から渡ってきた「渡来系」と呼ばれる人々と共通しているところがたくさんあることが分かります。特に身長については同じ時代の関東や南九州で見つかる人骨と比べてみると、平均で10㎝位高いようです。もともとこの地に住んでいた人々と大陸から渡ってきた人々とが一緒になり、次第に混血が進んでいったものと考えられます。
発掘調査
吉野ヶ里遺跡では北部九州の佐賀県・福岡県を中心に発達した弥生時代の墓である甕棺墓が数多く発見されています。その数は遺跡全体で3,100基を超え、なかでも丘陵尾根上には1,500基以上の甕棺墓からなる墓列が形成され、その規模は600mにも及びます。
この甕棺墓列の発掘調査は1986(昭和61)年から1988(昭和63)年にかけて実施しており、「頭部がない成人男性の人骨」や「9個の貝製腕輪を装着した少女の人骨」などが埋葬された甕棺墓が発見されました。また弥生人が身につけていた衣服の一部である絹織物片、毛髪、管玉や勾玉、鉄製品など多くの遺物も出土しています。
その後、2004(平成16)年から2007(平成19)年にかけて墓列北部の発掘調査を実施しました。調査の結果、この一帯では南北にのびる600mの甕棺墓列と交差して、別の墓列が東南方向にのびていることが確認されました。また、この調査区域の一画では、列埋葬に多くみられる甕棺よりも古いタイプの甕棺がまとまって出土しました。これらの甕棺には、吉野ヶ里丘陵上に大規模な墓城が形成される以前に、この一帯で生活をしていた人々が埋葬されたものと思われます。